Second Moon Ⅱ~六番目の月8~
盆休みに帰省した時、愁は父親にこう言われたのだ。
『親戚になるのは考えたい人だ、お前もよく考えろ』
どうやら香澄の母親が愁の実家に怒鳴り込んできたらしい。
その時の話を聞いた愁は、悩んだ。そして、結局、逃げたのかもしれない。
香澄の母親は、
“娘が言うことを聞かなくなったのは、おたくの息子のせいだ”
と、まくしたて、愁と愁の両親を罵倒したらしい。
何を言っても聞く耳を持たず、話し合いどころではなかったようだ。
だが、愁にとって、香澄の母親と自分の親との問題は、言い訳の一つに過ぎないのかもしれない。
愁は、自分の中にある“他にも恋愛をしてみたい気持ち”を否定出来ない。
就職へのプレッシャー、先輩から聞く就活の忙しさ、香澄の存在が重く感じられた面も否定は出来ない。
本格的に就活が始まれば、アルバイトは減そうと思っていた。だが、交通費や通信費、スーツ代など出費も多くなると聞いている。
将来に対する不安が募り、精神的に不安定な中、年上の女性に甘えたくなった気持ちも否定はできない。
ただ、“結婚するなら香澄ちゃんと”、そう思っていたのも事実だ。
香澄は、愁のユニフォームにゼッケンを縫い付けてくれた事もある。
毎日弁当を作っていると言う香澄に、“食べたい”とこぼせば、時々煮物などを保存容器に入れて持ってきてくれた。
高校生の頃には分からなかったが、家庭的なところを垣間見る事ができ、結婚するなら、と思うようになった。身持ちが固い面も、僅かな生活費でやりくりをしている面も、“結婚相手としては申し分ない”そう思うようになったのだ。
それには、香澄の母親を納得させる男になる事が先決だ、と考えた。
卒業までの二年半、香澄に恋人が出来るかもしれないが、それでも構わないと思っている。
自分も、結婚するまでにそれなりの経験がしたい。“恋愛と結婚は別だと言う考え”に近いのかもしれない。自分の就職が決まった時、この気持ちが変わらなければ、もう一度アプローチするつもりだ。
愁は、どこかに自信もあった。遠距離恋愛を一年乗り越えたからかもしれない。
“待っていてほしい”と言えば、香澄は待ってくれるのかもしれない。だが、自分は女性経験を積みながら、香澄には待ってくれと言うような不誠実な言動は、愁には出来なかったのだろう。
「甲斐性って……何で別れなきゃいけないわけ?香澄は?………………香澄は先輩追いかけて来たんだよ……」
奈津美の声は、罵声から涙声に変わっていた。
…………かすみは……あんたを頼って…………
親の反対を押し切り、家出同然の状態で地元を離れた香澄には、頼る者がいないのだ。愁の存在がどれだけ香澄の拠り所になっているか、それを考えると、奈津美は言葉を失った。
長い沈黙が続き、奈津美が鼻をすすりあげた時、愁が口を開いた。
「バイト先の女(ひと)と、ホテルに行った」
愁は、奈津美に頭を下げながら、感情のない声音でそう言い放つ。奈津美は、一瞬目を見開いた。が、張りつめていた何かが音を立てて崩れてしまったようだ。
疑問だらけの愁の言い訳が、この一言で納得できたと言うべきか。肩の力を抜き、大きく息を吐き出す。
「……香澄には、何て言ったの……」
呆れか諦めか、見切りをつけたのか、奈津美は、投げやりに言葉を吐き出すと、ぼんやりと視線を彷徨わせた。
「年上の彼女が出来たから、別れて欲しいって」
愁の返答は、誰か別人の様子を報告するような言いぐさだ。その物言いには、香澄への愛情は微塵も感じられない。そう感じ取った奈津美は、胸にこみ上げる何かを抑えられなくなる。
「…………っ……ひどいよ……」
どうにか声を出した奈津美は、溢れだした涙も鼻水もそのままに、カバンも持たず愁のマンションを飛び出した。
-8-