「別れるのは自由だよ。あたしが口出す事じゃないから!………………だけど、香澄に言えない理由ってのが気に入らない!!」


……ここで理由を聞いて、……あたしは……香澄に黙っていられる?……


……知らないふり…しろって言うの?……


愁は、奈津美の言葉を聞き、ゆっくり顔を上げた。その顔は、一日眠らなかっただけでここまでげっそりするかと思う程、顔色が悪い。

愁は、一呼吸置くと、ゆっくり語り始めた。

「前に、言ってた香澄ちゃんのお母さんとの約束が、守れそうになくてね」

愁は、気持ちを隠し、先ほどとは打って変わり、きっぱりとした口調で淡々と話す。


…………は?……って……やっぱり……あの約束?…………


「香澄と密室に二人きりにならないように、してたんじゃないの?」

春頃だっただろうか、愁は奈津美にそんな事を言っていた。
“理性が吹っ飛びそうになるから”と、“なるべく外で会うようにしてい
る”と。
“身体の反応を香澄に知られて幻滅されるのも怖いから”と。
愁が努力していたことは、奈津美も知っている。


……“守れそうにない”ってことは、まだ襲ってないんでしょ?……


……じゃあ、なんでいきなり……別れなきゃいけないわけ?……香澄に理由も言わずに……


……あたしには…わからないから!!……


「ごめん………奈津美ちゃん。結婚するまでって長いから」

愁は、淡々と話し続ける。

「……最低でも四年、香澄ちゃんが卒業して就職するまでは、…………結婚できない……」


…………俺が就職出来なかったら…………もっとかかる……


……俺の就職先によっては、香澄ちゃんのお母さんに、許してもらえるかどうかすら分からないんだ…………


愁は、バイト先で、四歳年上の女に言い寄られていた。その気はなかったが、一度だけ誘惑に負けたのだ。
その時、香澄を裏切ってしまった自分に対し、許せない気持ちと、自分を庇護する気持ちが生まれた。
周りのバイト仲間は、口々に言う。

『男は女みたいに跡は残んないんだし、黙って遊べばいいんじゃね?』

『結婚してからじゃ遊べねーし、ま、結婚したって遊ぶ奴は遊ぶわけだし……』


…………四年も我慢しろって、辛いんだ…………


「長いって……そりゃオトコは大変なのかもしれないけどさ…香澄だって気にしてる!…悩んでるんだから!!…そんな理由、納得できない!!…別れるくらいなら、約束破っちゃえば?」

奈津美は、今までにも“香澄がいいって言うなら、親との約束なんて破っちゃえば?”と言ったことがある。

「あのお母さんとの約束を破るだけの甲斐性が、今の俺にはない……」

愁は、何に自信がないのだろうか。手を出したい衝動と、手を出したら責任をとらなければならないと言う恐れの狭間で悩んでしまうのだ。


…………だからって他の女と遊んでいいとは思わない…………


愁は、香澄と真面目に付き合っていたのだ。自分の親にも話していたし、香澄が住んでいるアパートの保証人は愁の父親だ。
香澄の親が厳しいと言う事も、十分過ぎるほど知っていた。いや、その頃は知っている気になっていただけなのかもしれない。

八月に入った頃、香澄の母親が愁の実家に怒鳴り込むまでは、愁の親も反対はしていなかった。





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