「香澄がどうかしたんですか?」

香澄から何も聞いていない奈津美は、何があったかすら知らないのだ。全く意味が分からない。愁の様子をじっと見つめながら、あれこれ心当たりを探すが、見つかるはずもない。

「聞いてない?そっか……」

愁は、肩をすぼめたままだ。声音は先ほどより儚く、身体は、消えてしまいそうなほど小さく感じる。
奈津美は、そんな愁を見下ろしながら、あれこれと心当たりを探す。


…………なに?香澄は昨日もバイトで…………


…………帰りは…先輩、あんたが迎えに行ったんじゃ……って……え、…………


奈津美は、ある推測に辿り着き、

「何があったか説明してもらえますか?あたし何も聞いていないし……」

拳を握り、強い口調で愁に言葉を投げつけた。



…………何があったの?…………


奈津美の顔はまるで般若のごとく歪み、隣に座っていた晃は、それを見て胡座(あぐら)から正座に座り直した。
愁は下を向き、黙ったままだ。

「…………………………」

長い沈黙が続き、奈津美は痺れを切らしたようだ。イライラし始め、眉を歪めたり唇を噛みしめたりしている。
晃は正座をしたまま、そんな奈津美の姿をオロオロしながら見ていた。

「別れたんだ…昨日…」

やっと聴こえた愁の声は、震えていた。絞り出すように出てきた言葉は、奈津美の胸に波紋を広げた。弱り果てた愁の姿から、何かしら香澄と心のすれ違いが起きたのかもしれないと推測はしていた。

だが、“別れ”という言葉を聞いた途端、奈津美の肩に力が入った。腹の辺りから何かが逆流し、掌に爪が食い込むほどこぶしを固く握る。
目の前にいる男が、一瞬にして友人から敵に変わったのだ。もう、愁の苦しみなど、奈津美には知った事ではない。

「で?」

冷たい奈津美の声音が、狭い部屋に響く。


…………別れたって……何もないのにいきなりなんで?…………


……香澄は…………?……あの子……昨日のメール……普通だったよ?……


奈津美の射るような眼差しは、真っ直ぐに愁に向かっている。
相変わらず顔を上げない愁には分からないだろう。
だが、晃は、殺気立った奈津美を目の当たりにし、“そのうち手を上げるのでは”と、びくびくしているようだ。

「言い訳してもいいなら……香澄ちゃんに言わないでくれるなら、話す」

愁は、全く動かないまま、言葉だけを投げる。
いつもは相手の目を見て話す愁だ。奈津美は、目の前にいる愁が、別人のように感じた。声音もどこか冷たく、事務的に聞こえるのだ。





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