「お前、何やってんだ?」

香澄が顔を上げた先には、大きく見開かれた司の双眼。エレベーターの中に香澄がいた事に驚いたのだろう。

「え……」


……何で司がいるの?……


驚いたのは司だけではない。香澄は、何が起こったのか理解できず、目を丸くして固まった。自分が乗り込んだエレベーターは、自宅のあるフロアーに着いたはずだ。そう、“香澄の頭の中では”だ。

香澄は、苦笑いしながら乗り込んでくる司を呆然と見つめるしかないようだ。司は、固まったまま動かない香澄に身体を向けたまま、数字の書かれたボタンと“閉”のボタンを押すと、

「何ぼーっとしてんだ?」

呆れたような声音を落とした。


…………わ……行き先押してなかった?…………


………何やってんだろ…………


香澄は、司がボタンを押す姿を見てようやく気が付いたのだ。行先ボタンも押さずに立ち尽くしていた事に。羞恥心から頬が熱くなる。きっと頬が赤く染まっているだろう。

「ご…ごめん……ぼーっとしてた……」

香澄は、ぼそりと呟くと、赤い顔を見られないように俯いた。


…………何考えてたんだ?……まさか………あの黒髪か?!……………


司には、香澄は“考え事をしていて、心ここに非(あら)ず”のように映っていた。香澄と黒髪男との関係が気になる司は、香澄の“考え事”と黒髪男を結び付けているようだ。


…………香澄は迷惑そうにしてたけどな…………男の方は分からねー……


やがて、“チン”という固い音が鳴ると同時に扉が開く。司は、その音に反応するように素早く箱から出ると、香澄を待つことなく部屋に向かって歩き始めた。香澄は、その背中を追うように足を進めるが、その足元はいつになく重く感じられ、司との距離は開くばかりだ。

司は、あっという間に部屋の前に辿り着き、鍵を開け、ドアに手をかけたまま香澄を待っている。のろのろと歩いて来た香澄を先に中に入れ、自分も身を捩(よじ)るようにして入り込む。“バタン”と無情な音が響き、間を置かずに冷たい機械音が鳴り、ロックがかかる。

“ビクリ”と香澄の肩が震えた。乱暴に閉められたドアの音からも、司の機嫌が悪いことは窺える。香澄は、急いで靴を脱ぎ、リビングに向かう司の背中を追った。

「香澄?」

「ん?」

司は香澄の顔を見ることなく、温かみのない声音を落とし、ソファーを指差した。

「座れ」

「うん」

香澄も顔を上げることなく、着ているコートもそのままに、おずおずとソファーに腰を下ろした。



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