一方香澄は、どこか不機嫌な司を思いながら、エントランスに向かって重い足を進めていた。


…………やっぱり…………仕事で何かあったのかな…


……それとも…わたしが…何かした?……


テスト期間に入ってから、司とゆっくり話す時間が減っている。最近、司の帰宅時間は早いため、晩御飯を食べながら会話を交わす程度の時間はあるのだが、食べ終わると大急ぎで洗い物をし、片付け終われば机に向かう日々。心当たりがないとは言えない。


…………テストの事で頭がいっぱいで…司の事……考える余裕がなくなってるかも…………


…………司が洗濯してくれて、白いシャツがグレーになっちゃった時も、私、……つい苛立って……


忙しく家事をこなす香澄の手助けをしようと司が何かすれば、何かしら失敗する事が多く、結果として香澄の仕事が増えてしまう。洗濯事件もしかり。色が変わってしまったシャツを見た香澄は、あまりのショックに悲壮な顔をしていただろう。


…………司は良かれと思って洗濯済ませてくれたのに…………


…………あの時、ありがとうって言えなかったんだ…わたし……


最近は“先に風呂に入れば湯冷めをするから”と、司が一緒に風呂に入ろうと誘ってくる事もない。香澄が深夜までテスト勉強をし、風呂に入る頃には、月は既に沈んでいる。


……でも……いつも…一緒に寝てるし……


…………司は優しい…………


寝室の扉を開けば、ベッドの上で胡坐をかき、サイドテーブルに置いたノートパソコンを操作する司がいる。香澄を待つ間、暇を持て余している司は、仕事部屋兼自室ではなく、何故か寝室に持ち込んで仕事をしているのだ。
司は、香澄が何時まで勉強するのか分からないため、寝室で待ち構えているのだが、二人の体温で温め合うように抱き締め合えば、香澄は、あっと言う間に眠りに落ちてしまう。


……今朝は、不機嫌じゃなかった……


司は、疲れているであろう香澄を労わるように抱く。いつの間にか眠ってしまった香澄を愛おしそうに見つめている事など、香澄は知る由もない。


……ってことは……そのあと?……


……皆川くんといるところ…………見た?……って…


……それで司が不機嫌とか…私…自惚れすぎだよ…………


あれこれ考え込む香澄は、“チン”と金属音が鳴った事で我に返る。どうやらエレベーターが一階に着いたらしい。後ろを振り返るが、司の姿は見えない。


…………待ってようかな…………


香澄は、不機嫌な司に対し、そっとしておく方が良いのか傍にいる方が良いのか、あれこれ考えながら箱の中に足を踏み出し、“閉”のボタンを押せないまま立ち尽くしていた。

やがて、無情な音と共にドアが閉まる。


…………閉まる前に、来てくれると思ったのにな…………


普段なら、エレベーターの中に入ればすぐに押す“閉”のボタン。ドアが閉まる前に駆け込んで来て、“間に合った”と笑顔を向けてくれる司を期待していた香澄は、浮かない顔を床に向けたまま壁にもたれ掛った。
しばらくすると、“シュウ”と言う音と共にドアが開く。もう着いてしまったのか、とため息を吐いた香澄は、下を向いたまま箱の外に向かって歩き出した。が――――――



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