後部座席に置かれたティッシュペーパの箱が左右のドアにぶつかる度、香澄の身体も大きく揺れる。カフェからマンションまでのほんの数分が、これほど長く感じた事があるだろうか。前後に揺れを感じ、車が停車した事に気付いた香澄は、ホッと胸を撫で下ろし、目を開けて司を見上げた。が、その視線に気づいているのかいないのか、

「着いたぞ、先に上がってろ」

司は、前方を向いたまま言葉だけを落とした。

「…う……うん」


…………私、何か怒らせた?…………


香澄は、ぎこちない動きでドアを開けた。足に力が入りにくく、地面についた足はふわふわしているが、どうにか外に出る。

司は、車を降りる香澄に意識を向けているのだが、香澄の方に顔を向けることなく、前方を睨み付けたままだ。やがて、静かに助手席のドアが閉まる音が聴こえ、エントランスに向かって歩き始めた香澄の背中が司の視界に入る。司は、その背中をフロントガラス越しにぼんやりと見つめていた。

車を車庫に入れ、エンジンを切り、大きく深呼吸する。時間と共に怒りの炎は弱まったようだが、頭の中も胸の中も、もやもやと霧がかかったように晴れない。


…………香澄に聞くのが先か?…………


司は、反射的にポケットから取り出した携帯をじっと見詰める。


…………信用してねーわけじゃねぇ…………


携帯の画面に海堂の携帯番号を表示させたまま、しばらく目を閉じた。


…………念のためだ…………


……海堂にも気付かれねーよーに、近づいて来るヤツがいるとしたら……そっちの方が、ヤバいだろ…………


香澄は“下條”に関する事は一切知らない。司が徹底しているからだ。 “下條”の情報を得る目的で香澄に近づくものはまずいないだろう。

知らない者に尋問したところで、欲しい情報は得られない。それどころか、こそこそ嗅ぎ回っている事が知れれば、自分の身が危ぶまれるのだ。


…………初対面か?…にしては、話までしてやがったしな…………


“香澄を信じていないわけではない”と自分に言い訳をしたかったのか、一度は携帯を胸ポケットに仕舞った司だが、“念のためだ”を言い訳にし、僅かに震える指先で発信ボタンを押した。

「あぁ、俺だ、…………ああ………それより…カフェの前にいた男、誰だ……あ?…………誰か見てんだろ………………あ"?………………分かった…………」



…………海堂も知らねーのか?…………


海堂は、“報告は受けておりません”とのたまった。その時間カフェ前で待機していた者に確認をとると言うが、それまで待てるだろうか。司は、気が長いとは言えない、むしろ短いのだ。


……まー誰か見てるだろー…そのうち分かるが……


……ホー・レン・ソーはどうなってんだ?……ったく……



……香澄に聞いてみるか……


……あん時の香澄の反応……初対面への反応じゃなかったしな……


香澄を信用していないわけではないが、尋ね方一つで自分を信じていないと受け取られる事もある。司は、言葉を選んで尋ねなければ、と心の中で台本を作るのだ。


……あれだ……誰と話していたんだ……ってこれくらいなら大丈夫だよな……


……で、……知り合いなら、どんな知り合いか聞けばいい……それなら自然…のはずだ……


……どこの誰なのか知らねーよーな雑魚(ざこ)なら、問題ねー……下の奴らに調べさせればいいだろ……


司は、ぶつぶつと何かを呟きながら脳内に台本を書き上げ、一呼吸おいて車のキーを抜き取った。



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