司は、顔を前方に向けたまま、黙々と車を走らせる。信号で車が停車する度、香澄は何か言おうと口を開きかけるが、言葉が見つからないようだ。


…………どうしたんだろう……さっきは笑ってくれたのに……


話しかけるにはかなりの勇気が必要な、そんな司を隣に感じながら、香澄は戸惑うばかりのようだ。


……司…怒ってる?…機嫌が悪いのかな……


……仕事で何かあったとかかな?……それとも…わたしが……何か気に障るようなこと…した…かな?……


香澄は司の横顔をちらちら窺うが、司は香澄の事など眼中にないかのように前方を睨み付けている。香澄の胸に、不安が押し寄せる。

どれだけ時間がたったのだろう。ほんの数分が何時間にも感じられたのだろう。香澄は、沈黙に耐えられなくなったのか、勇気を振り絞るようにして口を開いた。

「司?」

か細い声が車内に響いた時、

「終わってからずっと外にいたのか?」

司の口から、温度のない声音が飛び出した。司は前方を向いたまま、意志とは裏腹な動きを始めた己(おのれ)の口に驚く。


…………あ?俺、何言ってんだ……どうなってんだ、この口は…………


頭の中で考えていたことが、咄嗟に飛び出したのだろうか。司は、動揺する自分を窘(たしな)めるようにハンドルを握りしめ、運転に集中しようと目を凝らす。


…………話は、帰ってから…帰ってからだ…………


……あれだ、運転中は…集中しねーとな……



“終わってからずっと外にいたのか?” 司の冷たい声は、香澄の胸に突き刺さる。司には“カフェの中で待っていろ”と言われている。香澄の頭の中では、“言う通りにしなかった自分に対し、司が怒っているのではないか”など、よからぬ思考がぐるぐる回り始めるが、司の機嫌が悪いだけかもしれないと思い直し、無理に明るく振る舞おうと笑顔を作った。

「月が見たかったから………すぐ沈んじゃうでしょ?」

六番目の月は、正午前に東の空に顔を出し、真夜中には西に沈んでしまう月。もう少し遅い時間になると、西の空に傾きながら落ちてしまい、見ることが叶わない月なのだ。


…………ううん、本当は…司に早く会いたくて、外で車を探してたんだよ…………


香澄は、司に一秒でも早く会いたいがために外で待っていたのだが、そう言えなかった。照れ隠しに六番目の月を持ち出したのかもしれない。

「そうか」

司は、温度のない声音で応えると、再び口を閉ざした。アクセルを踏む右足に力が入っているのは、無意識だろう。


…………あの男は誰だ?…………


…………っ…………


“キィーッ…”と言う甲高い音を響かせてタイヤと地面が激しく擦れる。と同時に司の心にも火花が散る。司は、カーブ手前で乱暴にブレーキを踏み込む。ハンドルを切る度、香澄の身体は左右に大きく揺れた。

「キャッ……つかさ……?……」

急カーブではない場所でも、充分に減速することなくカーブを曲がれば、車体はドリフトを起こしかねない。司の脳内は、黒髪男への苛立ちで埋め尽くされ、助手席の香澄が掴まる物を探しながら身体を強張らせている事にすら気づけないようだ。


…………っ……ック……


……学生か?…やけに親しそうだったじゃねーか……


“キィーッ”と耳を劈(つんざ)くような金属音は、本日何度目だろうか。香澄は、目を閉じたまま、揺れに耐えるしかない。



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