歩行者信号が点滅を始め、司はミラーで辺りを見回す。信号が青に変わるまで待ちきれない。車を降りて走りたい司だが、ぐっと堪えた。

ルームミラーを覗けば、頭上に赤いランプを点滅させた車が、後続車の中にある。腸(はらわた)が煮えくり返りそうな思いをぐっと堪え、司は信号が変わるのを待った。

ようやく信号が変わり、司は、ハザードを点滅させながらカフェの前に向かって車を走らせる。



――――後十メートル


「あ、迎えが来たから!」

香澄が司の車を見つけ、黒髪の男を振り切り走り出す。


――――後一メートル


司は、フットブレーキを全力で踏み込みながら、歩道を横切り車道沿いに走り寄る香澄に視線を向けた。


…………やっと着いたぜ……


ようやく司はカフェの前に到着する。一秒をも惜しみ、停車と同時にサイドブレーキを引き上げる。そして、車を降りようとドアに手をかけた。
が、“カチャ”と言う音が司の耳に届く。司がドアを開くより先に、

「つかさ、お疲れ様!」

香澄が助手席のドアを開けたのだ。香澄の顔を見ると一瞬頬が緩んだが、すぐに視線を前方に向ける。


…………あの黒髪、どこに行きやがった…………


上げかけた腰を下ろした司が、助手席に身を乗り出すようにしてフロントガラス越しに見渡してみるが、もう男の姿はない。司は、香澄を見ていた僅かな時間に男を見失ったようだ。


…………路地もねーし…何処に消えやがった?…………どっか店にでも入ったか…………


ムカムカする胸をどうにか抑えようと必死になる司の横で、香澄は、どこかホッとしたような笑みを浮かべ、持っていたカバンを膝の上に乗せる。


…………何か良いことでもあったのか?……にこにこ笑いやがって…………


司は、そんな香澄を目にし、“さっきの男は誰だ”と怒鳴りつけてしまいそうになる。


……ダメだ……大声出したら、こいつはビビッて固まっちまう……


機嫌の良い香澄の笑顔を恨めしく思いながら、司は握りしめたハンドルを睨み付ける。

「お仕事お疲れ様」

柔らかい声が頬に当たり、ふと顔を上げれば、香澄が司の顔を窺うように見上げている。


……何か言え!!…俺!……


司は、感情を抑えつつ、気の利いた言葉を探す。



「わりぃ…待たせたな…」

引き攣るような頬の筋肉に逆らうように、どうにか笑って見せる。


「ううん…ありがと」

満面の笑みを浮かべる香澄を横目に、司は、マンションに向かって車を発進させた。


…………あの黒髪、知り合いみてーだな…………


……どこで知り合ったんだ?……


……つーか、いつだ…?……



…………海堂は、何も言ってなかったぞ?…………



司は、“寝耳に水とはこの事か”と思いながら惰性のごとく車を走らせた。帰ってからゆっくり聞こう、そう決めて。



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