Second Moon Ⅱ~六番目の月21~
「ヒトシです…すみません…あの…あの…」
ヒトシの声を確認した海堂は、オンフックボタンを押し、受話器を握った。
「はい、海堂」
「か海堂さん…あの……たた助けて下さいいぃ…しゃちょーは…」
電話が繋がった事に安堵したのか、ヒトシは一瞬ホッとしたように海堂の名を口にし、縋るような声音で話し始めた。
「目の前にいらっしゃいますが」
「あの、あああの…すすみません…ゆゆゆ雪で事故があって…大渋滞っす…くっくく車が動かないんすよ…で、遅くなってます…すすす」
“社長”が傍にいると聞いた途端、ヒトシの声音が変わる。唇が震えるせいで口が回らないのか、うまく言葉が出て来ないようだ。
「ヒトシ、おちついてはなせ」
海堂は、あえてゆっくりと言い放つ。
「すすみません…ケータイの、ケータイの電池がなくなってもー困ってるんすよ……公衆電話、やっと見つけたんすけど、十円じゃあすぐ切れて…いいま…百円入れましたからだ大丈夫です…」
「ぶっ…」
平然を装っていた海堂も、どこかツボに嵌ったのだろう。思わず吹き出した。ヒトシの言う三分は、留守番電話に録音可能な時間ではなく、十円で話せる時間だったようなのだ。実際には、十円で三分も話せはしないのだが。隣で司は腹を抱えて笑い出す。
「…クククッ…クハハ…」
「しゃ…しゃちょー?」
ヒトシは、司の笑い声が聞こえたのか、電話の内容を聞いている事に気付いたのか、先ほどにも増して慌てふためいているようだ。
「ヒトシ」
海堂が、肩を震わせながら電話の向こうに呼びかけた。
「は、はい!」
ヒトシは声高に返事をしたが、頬からは血の気が引いている。足元が浮いたように感じる事も、どこか身体が震えている事も、寒さが原因ではないだろう。
「山は下ったな」
「はい」
「事故らねーよーに帰ってこい」
「はい…あの…」
ヒトシは自分に対する処罰を気にしているのか、唇を震わせながら何か言いかけた。海堂は、しばらく待っていたが、先に口を開いた。
「晩飯は、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉、ふみちゃん特製メニューだそうだ」
「かいどうさ~ん、ありがとうございます。親子丼ですよ!!すぐ帰ります。ふみふみに伝えて下さい」
ヒトシは、ホッとしたのか、いつもの間の抜けた軽い口調に戻る。海堂は、
“その材料で親子丼はねーだろ!!”
と突っ込みを入れたくなるのを押し殺し、ヒトシの変わり身の早さに吹き出しながら受話器を置いた。とその瞬間、極力声を出さないよう笑い続けていた司は、腹に痛みを感じながら口を開いた。
「アイツに公衆電話の使い方を教えてやらねーとな…今時十円で三分は話せねーだろ」
「この距離だと一分も話せませんね……」
「…ククッ…相変わらずボケてんなぁ…………」
……ピーとか言う発信音と公衆電話の通話時間切れ……間違えるか?……ま、ヒトシならありえるか……
……どっか抜けてんだよな……
「まあ、あれがヒトシです。今日中には帰って来るでしょう。私がここで待ちます。それより、……」
海堂は、パソコン画面に視線を戻し、司に何かを促す。
「あぁ………香澄を迎えに行く。ったく、ヒトシのヤツ、もっと早く連絡しろよなー」
司は、時刻を確認し、立ち上がる。
「あの辺りは携帯の電波も入りにくいですし、電波の不安定な場所ではバッテリーを消耗しやすいようです。まあ、バッテリーも古くなっているのでしょう」
海堂は、“ヒトシの場合は、早く着いてゲームでもしていたのではないか”と予想しているが、司には告げなかった。あくまで予想だ。
「…公衆電話も減ったしな…ヒトシも、よく見つけたな……なかなかねーぞ?…」
司は、公衆電話を探しながら焦るヒトシを思い浮かべ、最悪の事態が起こらなかったことに安堵する。
「そうですね……帰ってきたら優しく指導しておきます」
海堂は、口元だけを僅かに動かした。その分かりにくい笑みに気付いた司は、これから起こるであろう“優しい指導”を思い浮かべ、心の中でヒトシに手を合わせ、
「ま、後は頼んだ」
コートと車のキーを掴み、香澄の待つカフェに急いだ。
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